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花のように、ただ自分自身であること。それだけで誰かをしあわせにする力が、私たちにはある。
2012/02/19(日)03:58
NY生活が終わりました。

たった4ヶ月間でしたが、一瞬も休むことなく動く街や人や目の前に迫る状況や、
それに反応する自分の気持ちひとつひとつを受け止めて、噛み砕いて、消化することに忙しく、私にとってはあっという間でありながらもとても長く感じるという不思議な日々でした。

外から見れば、私はきっと何も変わっていません。

英語力も劇的に伸びたわけではないし、
事前にあれもしようこれもしようと計画していたことの半分もこなせなかった私は、
きっとみなさんから見ればただ4ヶ月間ぶらぶらしていただけのひとです。

実際、働きざかりの自分の年齢でこんなことしてていいのかと思うこともたくさんありました。
本来、こんな経験はもっと早い段階、たとえば学生のときとか、少なくても20代前半で済ませておくべきことなんじゃなかったのかと。

それでも。
それでもです。

やっぱり私は「たくさん学んだし、たくさん考えて、それは自分の糧になった」と言いたい。

人はそれはもう驚くほど違うということ。
それでもみんな、家族や友人とブランチをしてるときの楽しそうな笑顔やクリスマスイブの教会で子供たちの劇を見守るときのしあわせそうな笑顔は一緒だった。

自分はまだ乗り越えてないことがたくさんあるんだということ。
日本ではただ自分の日常が固定化されてきて、何となく色んなことをうまくこなせる気になっていただけだった。

私たちは全然自由なんかじゃないということ。
誰か―国や、社会や、慣習―につくられたたくさんの規制のなかで暮らしていて、それに気付くことすらなく日々を過ごしているだけなのだということ。ときには自らすすんでその規制のなかにさらに小さな囲いをして生きているのだということ。

そしてそれでも、私たちは自分たちが思っている以上には自由なんだということ。
実際、年齢や結婚してることなどから何となく無理だと思っていた一人での海外滞在も別にできないことではなかったし、これまでの自分の想像の範囲を超えた生活をしているひとたち、例えば命がけで国境を越えてきたという人、NYが好きで好きで、インターンを探してこちらに来たという人、そんな人たちにたくさん出逢って、私のスコトーマもたくさんはずれた。

どうして私たちは小さな囲いをつくってそのなかに自分を閉じ込めてしまうんだろう。

したいことがあるなら、すればいい。
会いたい人がいるなら、会いに行けばいい。
続けることが苦しいなら、やめてしまえばいい。

それで起こることすべてはもちろん自分の責任だけど、でも全部、できないことじゃない。それくらいの自由を私たちは持っている。

NYで生活してみて思ったいちばんのことは、それ。

私たちは全然自由じゃない世界に生きてる、けど、それでも自分たちが思っている以上にはとても自由なのだということ。


自由の女神


2011/10/04(火)22:30
母方の祖母が闘病中です。

先日、姉から「意識不明で病院に運ばれたから」という電話があって、
あぁ、いよいよなのかと意外に静かな気持ちで、
でもやっぱりその後、ぼんやりしてしまった。

2週間ほど前に東京に行った際に祖母の家に立ち寄っていたので、
「あぁ、やっぱりあの時すこし無理してでも行ってよかったな」と心から思い、

その後は何だか変に悪いニュース待ちみたいになってしまって、
ここ福岡で家族から離れて暮らす自分にまたちょっとへこんで、

ただこの状況にどうしていいか分からなかった。

その後祖母は意識を取り戻し、いまも病院にいる。
周りの誰もが思った以上の生命力で。
まるで誰もが後悔しないよう配慮したみたいに。

覚悟、なんだろうか。
いま必要なのは。

2011/10/01(土)17:32
「自分の人生の責任しかとれない」と、何かの本で読んだ。

ほんとにそうだ。

誰かに対して―それが身近なひとであればあるほど、
その人のために(と思っていても的外れなこともたくさんあるし)
こうしてあげたいとか、もっとこうなってほしいとか思ってしまうけど。

私たちは彼ら彼女らの人生の責任はとれない。
人生の最後の最後まで一緒にいて、一生尽くすわけにもいかないのだから。

結局、自分をしあわせにできるかどうかは自分次第で、
だからまず第一に考えてあげないといけないのは自分なわけだけど。

それでもときどき迷ってしまうことがある。

みんなだって、きっとそうでしょう?

…でも。

自分が自分の人生を大切に生きて全うすれば、
そのいい波紋が周りにも伝わるはずだと信じて、
泣いたり笑ったりしながら生きていくしかない。

私は私の人生を生きて、
みんながみんなの人生を生きる応援をしよう。


2011/09/27(火)22:09
先日、朝食会で「魔法の質問」のマツダミヒロさんの話が出たので、
ひさびさに自分への質問について再考してみた。

人ってついマイナスな質問を自分に投げがちで、
(「どうしてこんなこともできないんだろう」とかですね)
それは結局マイナスな答えを探しだす結果になるので
(「だって私は○○だから」とか)
普段から自分から自分へ問うている言葉をチェックしたほうがいいということ。


今日、私は誰かを笑顔にできただろうか?

明日、どうすれば最高に充実した1日にできるだろうか?
2011/09/26(月)10:41
日々しあわせに過ごすコツとして、
「いまこの瞬間瞬間を楽しむ」
といったような趣旨のアドバイス(?)をよく読んだり聞いたりします。

過去はすでに幻想であり、
明日はまだ予想がつかない未来。

だとすればいまこの瞬間だけが真実で、
その一瞬一瞬を楽しめる人がしあわせな日々を過ごせるのだと。

でも私はそれが苦手でした。

たとえば友人たちとにぎやかなディナーをともにして、
それは確かに楽しくてとても満足してはいるのだけど、

気付いたら楽しいと思っているぶんだけ、
「明日はいつもより早く起きなきゃいけないけど大丈夫かな」とか、
「疲れて明日はエンジンがかからなかったらいやだな」とかいった些細なことから、

「確かにいま楽しく過ごしてはいるけど、
ずっとこのまま自分の本当に好きなことなんてわからないままだったらどうしよう」とか、
「自分の天職でいきいき活躍してる人たちもいるのに」
とかいうことまで絶えず頭の片隅にあって。

つまり結局は100%、その瞬間瞬間を楽しめてなかったのですね。

でもついこないだ「自分の人生を信頼する」感覚を知ってから、
そんなことがなくなった気がします。

明日のことをいたずらに不安視せず、その場を心から楽しむ。
だって人生は結局パーフェクトになるから。

そう思うと不思議と体も元気になるのか、
前の日さんざん楽しく過ごしても
次の日疲れたとかそういうこともなくなったような。

もちろん、いまは仕事もしてないからそれも大きいだろうけど、
でも毎日自分の好きなことを仕事にしている人ってきっとこういう感覚なんだろうな。






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