花のように、ただ自分自身であること。それだけで誰かをしあわせにする力が、私たちにはある。
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2012/03/14(水)17:05
色々と書きたいことがたくさんあって、
でもって、何から書こうかなー整理しないとなーと思っていたら
だんだん億劫になってきてしまった(汗)。

これはよくない傾向だー、

というわけで、とりあえず思いついた順に書いてみます。

先日、5カ月ぶりに福岡ステキ女子委員会の朝食会をしました。

これは毎月1回、ホテルやカフェで朝食をとりつつ、
みんなシェアしたい話を持ち寄って話すという場です。

私はNYにいて感じたことを簡単にお話しました。

もちろんたくさん思ったことはあったのですが、
なかでも特に印象深く心に刻まれた点は2つ。

1つは前々回に書いた内容とも通じるのですが、
「もっと自由になりたい!」と強く思ったこと。

言葉の壁を感じるたびに思ったし、
自分のなかにあった偏見や固定観念に気付く度に
「あぁ、こんなことから自由になりたい」と思ったからです。

アメリカ人といっても白人も黒人もアジア系も、南米系も、
そして宗教的にもユダヤ教徒がいたりイスラム教徒がいたり、
本当に色んな分野や価値観を持っている人を目の当たりにして、

「理解できん…」「私たちとは違う」と線をひいてみたり、
勝手に人をカテゴライズしている自分に気付いてそれが結構ショックでした。

「オープンマインドで」なんて簡単に言うけど、
なんだ、ぜーんぜんできてないじゃん私、と。

で、こういうところから無理解とか衝突が生まれるのかもしれないとも思いました。

価値観にいい悪いもなく、ただ「違う」だけ。

それを自然に受け入れられるようなひとになろう、なりたい、なるんだ、と
3段活用のように決意した次第です。

2つ目は「自分はどこまで行っても自分でしかない」ということ。

実は2カ月目くらいにスランプで1-2週間若干ひきこもりな生活をしていたのですが、

そこから脱出したきっかけというのが、
元々の自分の居場所とか自分のことを思い出したからだったのです。

具体的にいうと、Meetupに行って(気分的には凹んでたので億劫だったのですが)、
色んな人と話をしたらあれ?なんだか楽しい!と思って、
「あの人ひとりだなー大丈夫かなー」とか「みんな楽しんでるかなー」とか、
主催者でもないのにいろいろやっちゃいたい気分を発揮していたら、
なんだかいつのまにかますます元気になって(こう書いてみるとただのおせっかいだな)、

私はこうやって人がわいわい集まってる場所にいるのが好きで、
自分らしくいられるんだなと改めて思ったり、

友人と朝カフェして「美香はどこに行っても美香!」って励まされてうれしくなったり、

結局日本でやっていることと変わりないじゃん!
なーんだ、でもやっぱりそれが自分なんだなぁと。

べつに環境が変わっても自分の本質が変わるわけではないし、
もちろん自然と成長したり変わったりするのはいいことだけど、
むりに自分を変えようとする必要もないのか。

そう思ったらラクになって、
いろんなことにも構えず取り組めるようになって、
そしたら楽しさもアップ。

…したら、帰る時期になっちゃったんですけど。

でもそんなことも帰国前に感じることができてよかったな。

月並みな言葉だけど、
「行ってみないと分からないことはたくさんある」。

行動して感じて経験したことは、
いつだって頭のなかだけのシュミレーションをやすやすと越えていくのですね。


2012/02/27(月)18:43
聞いてはいたんですよ、アメリカって国は何でもかんでも大きいって。
でもって、言われてもいたんです、超高カロリー食に気をつけろって。

それでも最初の2週間くらいは、目にする食べものすべて、そしてそれを平気で平らげてる人たちすべてにに殺意をおぼえてました。

彼らにとってはこれが普通なのだから、
よそ者からとやかく言われる筋合いはまるでなく、
私だって日本の食文化をやいのやいの言われたらご立腹です。

でも、

おうちでのディナーで「今日はピザよ~(注:嬉しいでしょ的なニュアンス)」
と巨大ピザとコークが出てきたり、

いやこれスウィーツというより化学物質ですから、な色合いのケーキを見たり、

小学校の教科書にピザは野菜として分類されてると小耳にはさむたび、
(トマトソースだかららしい。真偽は分かりません)

そしてそんな食生活なのに、

街のいたるところにVitamin Shop(サプリ専用店)があったり、

カルシウム入りのオレンジジュースが売っていたり、

ランチで巨大な生野菜サラダをむしゃむしゃ食べてたりするのを見る度に、
(それそんなに栄養ないやろ)

いやそれ違うでしょ!ちゃんと濃いお野菜も食べなさいよっっ!

と、実家のおかんみたいな気持ちになっていました。

別に普段からマメに料理をするでもなく、いやむしろできれば外食したい派だし、
お野菜も食べなきゃねー、と思っていながらにんじんくんなんかをすぐ腐らせている私ですが、

それでもこれだけ自分にとって健康にいいものを食べることや、
バランス良く食べるということが大きなウェイトを占めることだったとは。

ナチョス
ナチョス。ふたりでももちろん食べきれず。

バーガー
NYに行って3年分くらいのフレンチフライ(フライドポテト)を食べた。

Cake.jpg
これはもはや祝福ではないだろー。

Cup Cake
かわいいけど萎える…食欲が……。

それでも1~2カ月はせっかくNYにいるんだし、といろいろ試したけど、途中でギブ。

お野菜がたくさん食べられるコリアンタウンの韓国料理店や、
タイその他のアジア料理、
サンライズマート(日本食のスーパー)によくお世話になってました。

色んな国のひとたちがチャイナタウンなりリトルイタリ―なりをつくって、
自分たちの食文化を守りながら暮らしている理由がよーく分かりました。

誰だって自分にとっての美味しいごはんを食べながら生きていきたいよね。
2012/02/19(日)03:58
NY生活が終わりました。

たった4ヶ月間でしたが、一瞬も休むことなく動く街や人や目の前に迫る状況や、
それに反応する自分の気持ちひとつひとつを受け止めて、噛み砕いて、消化することに忙しく、私にとってはあっという間でありながらもとても長く感じるという不思議な日々でした。

外から見れば、私はきっと何も変わっていません。

英語力も劇的に伸びたわけではないし、
事前にあれもしようこれもしようと計画していたことの半分もこなせなかった私は、
きっとみなさんから見ればただ4ヶ月間ぶらぶらしていただけのひとです。

実際、働きざかりの自分の年齢でこんなことしてていいのかと思うこともたくさんありました。
本来、こんな経験はもっと早い段階、たとえば学生のときとか、少なくても20代前半で済ませておくべきことなんじゃなかったのかと。

それでも。
それでもです。

やっぱり私は「たくさん学んだし、たくさん考えて、それは自分の糧になった」と言いたい。

人はそれはもう驚くほど違うということ。
それでもみんな、家族や友人とブランチをしてるときの楽しそうな笑顔やクリスマスイブの教会で子供たちの劇を見守るときのしあわせそうな笑顔は一緒だった。

自分はまだ乗り越えてないことがたくさんあるんだということ。
日本ではただ自分の日常が固定化されてきて、何となく色んなことをうまくこなせる気になっていただけだった。

私たちは全然自由なんかじゃないということ。
誰か―国や、社会や、慣習―につくられたたくさんの規制のなかで暮らしていて、それに気付くことすらなく日々を過ごしているだけなのだということ。ときには自らすすんでその規制のなかにさらに小さな囲いをして生きているのだということ。

そしてそれでも、私たちは自分たちが思っている以上には自由なんだということ。
実際、年齢や結婚してることなどから何となく無理だと思っていた一人での海外滞在も別にできないことではなかったし、これまでの自分の想像の範囲を超えた生活をしているひとたち、例えば命がけで国境を越えてきたという人、NYが好きで好きで、インターンを探してこちらに来たという人、そんな人たちにたくさん出逢って、私のスコトーマもたくさんはずれた。

どうして私たちは小さな囲いをつくってそのなかに自分を閉じ込めてしまうんだろう。

したいことがあるなら、すればいい。
会いたい人がいるなら、会いに行けばいい。
続けることが苦しいなら、やめてしまえばいい。

それで起こることすべてはもちろん自分の責任だけど、でも全部、できないことじゃない。それくらいの自由を私たちは持っている。

NYで生活してみて思ったいちばんのことは、それ。

私たちは全然自由じゃない世界に生きてる、けど、それでも自分たちが思っている以上にはとても自由なのだということ。


自由の女神


2011/10/04(火)22:30
母方の祖母が闘病中です。

先日、姉から「意識不明で病院に運ばれたから」という電話があって、
あぁ、いよいよなのかと意外に静かな気持ちで、
でもやっぱりその後、ぼんやりしてしまった。

2週間ほど前に東京に行った際に祖母の家に立ち寄っていたので、
「あぁ、やっぱりあの時すこし無理してでも行ってよかったな」と心から思い、

その後は何だか変に悪いニュース待ちみたいになってしまって、
ここ福岡で家族から離れて暮らす自分にまたちょっとへこんで、

ただこの状況にどうしていいか分からなかった。

その後祖母は意識を取り戻し、いまも病院にいる。
周りの誰もが思った以上の生命力で。
まるで誰もが後悔しないよう配慮したみたいに。

覚悟、なんだろうか。
いま必要なのは。

2011/10/01(土)17:32
「自分の人生の責任しかとれない」と、何かの本で読んだ。

ほんとにそうだ。

誰かに対して―それが身近なひとであればあるほど、
その人のために(と思っていても的外れなこともたくさんあるし)
こうしてあげたいとか、もっとこうなってほしいとか思ってしまうけど。

私たちは彼ら彼女らの人生の責任はとれない。
人生の最後の最後まで一緒にいて、一生尽くすわけにもいかないのだから。

結局、自分をしあわせにできるかどうかは自分次第で、
だからまず第一に考えてあげないといけないのは自分なわけだけど。

それでもときどき迷ってしまうことがある。

みんなだって、きっとそうでしょう?

…でも。

自分が自分の人生を大切に生きて全うすれば、
そのいい波紋が周りにも伝わるはずだと信じて、
泣いたり笑ったりしながら生きていくしかない。

私は私の人生を生きて、
みんながみんなの人生を生きる応援をしよう。


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