花のように、ただ自分自身であること。それだけで誰かをしあわせにする力が、私たちにはある。
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2011/03/21(月)12:30
私の実家は茨城県日立市です。

幸いにも死者は出なかったものの、
震度6強のゆれと5.2Mの津波に襲われ、
いまだ水道がとまったまま。
(あまり報道はないですが、結構ひどいんです、茨城の被害も。
県では20名近くの死者も出ています。原発も近い。。)

地震後3日間くらいは電気もとまっていたから、
寒くて暗いなか余震におびえているだろう家族の姿を想像して、

家にあるものを食いつないでいるという家族のメールをみて、

それでも「大丈夫」というひと言を聞いて、

遠くにいて何もできないことが本当に苦しかったです。

10日間で考えたことや感じたことはたくさん。
忘れないように書いておきたい。

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■善意はときに害悪になるということ。

地震直後にたくさんのチェーンメールがまわされてきました。
そのどれもが、善意で送ってしまったんだろうとわかるもの。
でもだからこそ、私は腹が立って仕方なかった。

感情的になっている、と自分でも分かっていたのだけど。。
正直に言って、メールをまわしている人たちに当時の私が思ったこと一部始終↓

その呼びかけ(※物資を集めるという内容)が過去の教訓とか現場の状況とか把握せず、
勢いではじめたって何で分からないの?!

「献血をしてください」だってきっと今は殺到してるだろうから、
少し待ったほうがいいだろうとか、
「節電をしてください」とか、九州は残念ながら関係ないとか、

自分で少し調べたり、情報を集めたり、
一息ついて自分で考えれば、その内容がちょっとおかしい、って気づくでしょ!!
ていうか、大人としてそれくらい考えろ!!

↑以上、一部始終の怒り↑

でも、それを言いづらかったのです。非常に。
なぜなら「善意」だと分かっていたから。
「善意だから…」といわれたら、言葉に詰まってしまいそうだったから。

でも、善意はときに害悪になる。
無邪気だからこそ、誰かを傷つける可能性があること。

もしああいったメールを送ってしまった人がいたら、
自分たちがしたことの意味を考えてほしいと思う。

そして、次こういった場面があったときには注意すること。
そうすることが今回の教訓。

■不謹慎とか自粛とか。

悲しい映像を繰り返し見て、
「私には何もできない」と無力感に襲われたり、
楽しいこと、おもしろいことをするときに感じる罪悪感。。

私ももちろんあったから、
「あ、これは自分を癒す必要がある」と思って、
体を休めて、お風呂に入って、その他いろいろ取り揃えている
『自分をたちなおらせる術』を駆使して気持ちを切り替えた。

だから、「○○の飲み会、自粛しようか」と言われて、
思わず「何のためにですか?」と言ってしまったのです。

こんな時期に飲み会なんて…という人もいたけど、
もしも中止にするなら「自分たちのために(自分がまだ癒されてないから)中止するんだ」
って忘れないでほしいと思った。

日本中、悲しみに覆われたしみんな傷ついた。
だから癒される時間は必要。

でも、元気な私たちがはやく通常営業に戻らないことにはお話にならないじゃん!
所詮私たちが言う『自粛』とか『不謹慎』とかって、
被災者のためじゃなくて自分の欲求(癒されたい無力感とか)のため、って忘れちゃダメ!
(注:被災地に迷惑をかけるからしなきゃいけないような、本当に必要な自粛は別)

ほんとに被災者のためを思うなら、
がんがん働いて、飲み会して、笑い合ったりしようよ!

と、いうわけで飲み会はします(とだけ言いたかったわけではありませんよ、念のため)。

■目的が入れ替わる怖さ。

今回、地震後早い段階でツイッターやネット上で、
「いまは素人のボランティアが行っても足手まといになるだけ」
といったことが、過去の震災の経験者を中心に流れていました。
(注:が、今回の地震は阪神大震災とは状況が異なり、物資・人手が圧倒的に不足しているそうです。
但し、それでも興奮した素人がやみくもに乗り込むのはNG。慣れている団体に登録するなり、
指示を仰ぐなりしましょう)

過去の体験者が語るテキスト
(自分の食料の準備もせず乗り込むボランティア、誰も着ないような古着を物資として送る人、等々)
を読んでいて、本当に「目的が入れ替わること」の怖さを思った。

「助けてあげたい」「何かしてあげたい」という気持ちは尊いけど、
いつの間にかその自分の“want to”を満たすことが目的になってしまうのでしょう。
そして本来の目的-被災者のため-というものがどこかにいってしまう。

何をするにしろ、
本当に“for what?”と問いかけは必要不可欠だなと痛感。

■「捨てたもんじゃない」という言葉、等々。

これは、昔からそうなのですが…。
個人的になんか違和感あるというかひっかかる言葉です。。

たくさんの「地震後に心に残ったつぶやき」や「感動する話」、
「外国人が秩序が壊れない日本に賞賛」的なニュース、

私も見たんですよ。
それで、感動したし、泣いたし、誇りにも思った。

…のですが。

だんだんこれにも違和感を抱くようになりました。
うまく言えなくてもどかしいのですが、

結局(私も含めて)みんな誰かがした善行に乗っかって、
ただ自分を癒したかったのかも。

とか、

こんなときに外から褒められてようやくセルフイメージあげられて喜んでる?

とか。。

このへんのもやもやは自分のなかで要・再考。

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そうこうしているうちに、
いま、実家から10日ぶりに水道が復旧してお風呂に入れたとメールがきました。

「もっと大変な人たちがいるから…」と気丈にしてた姉が、
地震後1週間の早朝送ってきたメールで
「トイレにいくのが苦痛で仕方ない。もういやだ」と言っていたときは
胸が張り裂ける思いでしたが、

こうして少しずつ動き出している故郷の街と、
現場で作業にあたるすべての人と、
傷つきながらもがんばっている家族に感謝とエールを送ります。

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Mika/みかち

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